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2006/08/08 (Tue) 「夏を感じる歌」

これ以上裸になれぬひまわりが花占いの指をまつ庭


上記のお題で「犬という名の猫な歌会。」に出させていただきました。




* * * * * *

「夏を感じる歌」というお題をいただき、
最初に思ったことは「夏はきらいだ」ということでした。
暑いからです。
冬は、寒ければいくらでも着こんで温度調節ができる。
でも夏は、どんなに暑くても、裸になってしまえばもうそれ以上脱ぐことはできない。あとはクーラー頼みです。限界があるのです。
もういっそ、皮膚も脱げたらいいのに。
そんな些細な不満がこのうたの種となり、そこから組み立てていきました。


このうたで表したかったことはふたつあります。
ひとつは、
暑がっているひまわりが、自分ではこれ以上脱ぐことができないので、何でもいいからとにかく脱がせろ。自分はふだん花占いをされる対象ではないけれど、それでもいいからとにかくむしってくれ。と思っている、ということ。
もうひとつは、
ひまわりは夏を代表する花であり、その風貌から獅子のような雄々しく堂々としたイメージを喚起させる花。ひまわりは咲き誇って何もかもを見せているように思えるけれど、実はプライドは捨ててはいない。逆に言えば、周りからのイメージによって、全てをさらしきることができない。裸だと思われていても、実は裸ではない。そんな凝り固まったプライドやレッテルを、だれかに引き剥がしてほしい。それがたとえ、自分に不似合いな花占いという手段でもかまわないから。ということ。
後者の場合「ひまわり」は暗喩です。


「花占い」というのは、私が一番最初に夏の暑さに対して感じたこと、
皮膚も脱げたらいいのに、というところからでてきたことばです。
つまり、ひまわりは花占いをしてほしかったのではなく、
指を待っていたのです。
だけれど、摘み取ってほしい、というのとは異なります。
それは、極端な言い方をすれば“夏が暑いから死にたい”みたいな感覚と一緒だからです。


「庭」は、ひまわりを立たせる(生かす)ために使いました。
そして、周りにもたくさんの花々がある(他のひまわりも含めて)ということ、
とにかく炎天下にいるということなども表すためです。
ひまわりをひとりにさせてしまうと途端にしおらしくなってしまう。
実は、最初は「庭」ではなく「午後」だったのですが、それだとひまわりがどこにどのようにあるのかわからなくなってしまう、という考えから「庭」にしました。


犬猫会でのみなさんのコメントを拝読していても思ったのですが
このうたの一番の欠点は「これ以上」です。
「これ」が何を指すのかわからなくなってしまっているのです。
なので、読んでくださった方によって、
「花びらが全部落ちた状態」「咲いている状態」とイメージが分かれてしまい、
混乱させてしまったなあと反省しています。
ひまわりの立ち枯れは、花びらが落ちません。
それも、確かに、実際に見たことのある方でないとわからないことだと思うので、
初句をもう少し具体的にして構成しなおす必要があると感じました。


さらに「庭」で終わってしまったことによって、ひまわりそのものに焦点を当てきることができなかったことも反省。
はじめての歌会に臨む気負いがでてしまいました。


たくさんのコメントをいただいて改めて感じたのは、
詠み手はベストに限りなく近い(と自身が思う)ベターでうたを放つことしかできない、ということです。
読み手の方の存在があって、はじめてそれはベストになり得る。
(あくまでも可能性の問題です)
もちろん、ワーストにもなり得るでしょう。
これからもたくさんの方々に、よい鏡としてうたを映していただきたいと思います。そして、私自身も誰かのよい鏡となれるよう、たくさんのおうたに触れていきたいとふつつかながら考えています。


コメントをくださったつた子さん、末松さん、cocoaさん、クロエさん、佐田さん、天国さん、振戸さん、やすまるさん、あきえもんさん、すぎなさん、ささいさん、福々屋さん、宮田さん、カー・イーブンさん、夏己さん、ワンコさん、まひるさん、犬飼さん、穴井さんに、心から感謝です。
特に、cocoaさんには面と向かって「あれ、西宮さんのうたでしょ。あれはばつですよ。ばつ」と言われましたね(^-^)cocoaさんとの会話の中で気づくこともたくさんありました。ありがとう。
そして、私のうたに星をくださったつた子さん、佐田さん、野田さん、末松さん、あきえもんさん、宴さん、すぎなさん、宇津さん、ささいさん、福々屋さん、夏己さん、せんいちさん、ワンコさん、PONさん、湊さん、まひるさんに、さらなる感謝を。



コメントへのお返事は、犬猫会のほうでさせていただきます。
ほんとうにありがとうございました。

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こんばんは、こちらでははじめまして。
結句ですが私は「指待つ午後」のほうがしっくりきました。
「庭」だと情景として俯瞰してる感じでひまわりが遠いのですが、「午後」だとひまわりにぐーんとズームインして感情移入しやすいような気がしました。えーと、あくまで私だけの感じかもしれません。あと、午後のほうが待ってる指に色っぽいニュアンスが生まれるような? あ、生まれない方がいいですかね・・・余韻があると思うのですが。
あ、私はすごいド素人です。見当違いの意見だったらごめんなさい。

2006/08/10 01:56 | 中野玉子 [ 編集 ]


 

中野さんようこそ。コメントありがとうございます☆

中野さんのご指摘、感謝です。
確かにフレーミングの点でも、「ひまわり」自体に対しても、より読み手が共感を得やすくなるのは「午後」の方かもしれないなと、改めて感じました。
最後の最後まで「午後」にしていたのをあえて「庭」にしたのは、結論から言えば私の性格なのです。
実は、犬猫会のコメント欄にも少し書かせていただいたのですが、私はどこかで(自分の中の)女性性を疎んでいるところがあります。もちろん憧れの裏返しなんだろうけれど、いわゆる「女らしさ」というのを全面に押し出すことに、自分でストップをかけてしまうんですよね。
素直じゃないというか。(^-^;
(あるいはそういうところが実は最大限に「女」だったりするかもしれないのですが)
年を重ねて大分やわらいできたと思うのですが、それでもまだあります。
私のそうしたところがことば選びに出てしまった、というのが本当のところです。

短歌といえど自分の鏡。
表現と自分のすりあわせ、というのかな。
短歌に限らず、表現をしていくにあたって、大事なことだ思っています。

もちろん、午後と庭、それぞれによい点があって、中野さんがおっしゃってくださったことでまた新たな気づきが生まれました。ありがとうございました。

2006/08/10 14:41 | 西宮えり [ 編集 ]


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